2008年12月11日木曜日

摩耶山および摩耶観光ホテル関連資料5

資料5
絵はがき「攝津摩耶山ケーブルカー急勾配ノ景」など3枚、1925〜29(大正14〜昭和4)年頃?

 1925(大正14)年1月、摩耶山にケーブルカーが開通し、マヤカンこと摩耶山温泉ホテルが開業する1929(昭和4)年11月までの期間に作成・販売されたと推測される絵はがき。形態は1枚のはがきに2つの名所を紹介するというもの。作成者は3枚セットで入手したものの、おそらくはこの他に数枚程度加わって一つの絵はがき集となっていたとも考えられる。作成・発行者は特に記載はなく不明である。作成年を上記のように限定したのは、マヤカンが登場していない点、およびその後マヤカンが建てられる以前に、同じ場所に存在した「テント村」が登場することから判断した。ただし未確認の絵はがきにマヤカンが登場するものが存在しているかもしれないし、あるいはマヤカン開業後も「テント村」は周辺で設置されていたので、場合によっては、時期が1935(昭和10)年頃まで下る可能性も否定はできない。

絵はがき1 攝津摩耶山ケーブルカー急勾配ノ景・攝津摩耶テント村ノ景

 ここにある「テント村」は、ケーブルが開通した1925(大正14)年から、毎年7月上旬から8月末まで摩耶山遊園地周辺に設置されていたもので、別のパンフレットには「夏季テント村」とも表記されている(摩耶観光ホテルについて9(資料6)2006年 04月 参照)。その場所は、マヤカンが営業開始した以後も設置されていることから、何ヶ所かに分散配置されていたと考えられる。ただしここに見られるのは、地形と近隣の山容からケーブル摩耶駅の東側斜面、すなわち現在のマヤカンが存在している場所である。

絵はがき2 攝津摩耶山ケーブルカーより神戸市を望む・攝津摩耶山摩耶食堂の内部

 ここで注目されるのが、左の「摩耶食堂の内部」である。細長いフロアにほぼ2列にテーブルクロス掛けられた四角形のテーブルに「サクラビール」(「帝国麦酒」製、後にサッポロビールと合併)と表記されたイスが配されている。中央右手には厨房に続くようなカウンターも確認される。これと似たような構図は、マヤカン内にあった食堂の写真(摩耶観光ホテルについて9(資料6)2006年 04月 参照)でも見られるが、フロアの広さはまったく異なっているのでそれではない。ケーブル会社の社史(『六甲山とともに五十年』)の年譜には、1925(大正14)年5月31日に「摩耶駅付近に摩耶食堂開業 他に貸売店8戸開業」と表記されている。また以前紹介した絵はがきには、判然とはしないものの、それらしき施設が確認できる(摩耶観光ホテルについて10(資料7)2006年 09月 参照)。よってここにみられるのは、表記の通り「摩耶食堂」ということになろう。天上や壁面から木造と判断されるが、なかなか洒落た雰囲気に感じられる。

絵はがき3 攝津摩耶山忉利天上寺本堂・攝津摩耶山忉利天上寺門前