2010年5月21日金曜日

摩耶山および摩耶観光ホテル関連資料8

資料8
摩耶鋼索鉄道株式会社発行の絵はがき、1929〜30年頃

絵はがき1
 ケーブル会社発行の絵はがき。下部に会社名および所在地等が記載され、裏面にも会社名が記載されている。摩耶山と思しき緑の山塊に天上寺の堂塔が記載され「摩耶観音堂」「摩耶夫人堂」と表記されている。その右にケーブル摩耶駅が記載され、ケーブル線が赤で太く描かれている(中間地点の上下線交差および下部のトンネルも記載)。下の高尾駅からは、そこまでの交通手段が描かれており、阪急電車の当時の終点「上筒井」および阪神電車・阪國電車(阪神国道線)の「大石」から赤いラインとともに自動車(おそらく乗合自動車)が記載されている(現在のJR線である「省線なだ駅」(灘駅)および阪國電車「神戸終点」(東神戸駅)からは赤の点線で上筒井まで記載されている。おそらくは徒歩ということか?)。
 発行年は記載されていないが、記載された乗合自動車線等からおよその年代を推定できる。ケーブル会社の社史『六甲山とともに五十年』の年譜によれば、上筒井—高尾間の「乗合自動車営業認可」は、ケーブル開通(1925(大正14)年1月6日)前の1924(大正13)12月27日、大石—高尾間の「路線延長許可」は1929(昭和4)年3月15日で同年6月1日から営業開始となっている。よって、この絵はがきの発行は早くとも1929(昭和4)年夏以降と思われる。
 一方、ケーブル会社の所在地について「神戸市熊内通一丁目」と記載しているが、これは社史によれば「神戸市葺合区熊内通一丁目19番地」であり、それが1931(昭和6)2月に「灘区箕岡通4丁目745番地」に移転している。以上のことから、この絵はがきは1929(昭和4)年夏から30(昭和5)年頃の発行と考えられる。ちなみに社史には、この絵はがきとほぼ同じ構図で1926(大正15)年発のものも掲載紹介されているが、乗合自動車は高尾—上筒井のみとなっている。

絵はがき2

 なおこのはがきの裏面には、切手を貼る部分ではない中央部に切手が張ってあり、また半紙が付いていて、そこに切手の位置に手書きで丸が記され、「日付印」と手書きされている。このことから、このはがきは購入者が実際に発送するわけではなく、記念用に使用するものだったとも思われる。
 最後にマヤカン(摩耶山温泉ホテル)について、この絵はがきが発行された同時期の1929(昭和4)年11月に開業しているが、絵はがきにはそれは記載されていない。おそらくは前述した1926(大正15)年発行のはがきの構図を流用しているためと思われる。

絵はがき3(半紙をかぶせた状態)