資料3
絵はがき「摩耶山参拝記念絵葉書」、天上寺?
天上寺参拝を中心にした絵はがき集。10枚構成で、うち8枚が天上寺関連を写したものである。また表紙には、豊臣秀吉や徳川幕府から所領寄進を受けたことに因むと思われる桐と葵の紋が描かれている。これらの構成・装丁から、この絵はがき集は天上寺発行か、あるいは少なくとも天上寺で販売されていたものと推定される。第二次大戦前に作成されているものの、正確な発行年代は不明。なおすべてのはがきに、参拝記念の印が押されている。
表紙
絵はがき
1 摩耶山ケーブルカー
絵はがき
2 摩耶山 山門
この山門は天上寺旧境内の入口、長い石段のさらに下にあり、
1976年の火災で被害を免れて、現在も同地に残されている(安置されていた仁王像は移転撤去)。江戸後期の建立という。
絵はがき3 摩耶山石段
絵はがき4 摩耶山嗽水舎
絵はがき
5 摩耶山天上寺本堂
絵はがき6 摩耶山多宝塔
絵はがき7 摩耶夫人堂
摩耶山の山名の由来にもなっている釈迦の母「摩耶夫人」を祭祀する堂。参道をはさんで多宝塔の向かい側に存在していた(他に護摩堂・鐘楼など)
参考サイト:「摩耶山天上寺多宝塔」http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/sos_mayasan.htm
絵はがき8 摩耶山開基法道仙人の像
この像は、火災後に現在の新天上寺に移されたのか、ほぼ同様の像が境内に確認される。
絵はがき
9 赤松円心陣太鼓(躑躅木製径二尺八寸)
摩耶山は、1333(元弘3)年に鎌倉幕府に対して叛乱を起こした播磨国の土豪・赤松円心(則村)が立て籠もって、幕府軍と戦火を交えた場所として伝えられている。円心が籠もった「摩耶山城」は、実際にはケーブル摩耶駅(現・虹の駅)付近が有力候補地といわれているが、天上寺もその候補地の一つとして、遅くとも江戸期から認知されてきた。このために、円心の遺物的な物が伝えられてきたと考えられるが、おそらくは後世に由緒あるものとして、意味づけされたものであろう。
絵はがき
10 摩耶山ヨリ見タル神戸市